放課後を教えるのは誰か——夏期講習とAI、世界の塾の四つの例
駅前の塾に「夏期講習」の貼り紙が並ぶ季節です。前回は学校の宿題とAIを見ましたが、今回はその続きとして、学校の外側にある塾と予備校を見ます。学校には文部科学省のガイドラインがある一方で、その射程の外にいる塾の教室には、すでにAIが座っています。AI教材atama+の導入教室は全国47都道府県で4,000を超え(2024年6月の公表値)、料金定額の通い放題を掲げるAIの塾が夏期講習の生徒を募集しています。世界に目を向けると、韓国では民間のAI導入が先行し、塾を禁止したはずの中国では「AI家庭教師」を名乗る学習機が家庭に入り込み、米国ではKhan Academyの創業者が自社のAIチューターを「多くの生徒にとって、ノンイベントだった」と振り返り、EUは学習成果を評価するAIを高リスクと定めました。夏期講習とAIの現在地を、日本と世界と研究の現場から眺めます。
駅前の塾の窓に、「夏期講習」の貼り紙が並ぶ季節になりました。前回の記事では学校の宿題とAIを眺めましたが、今回はその続きとして、学校向けガイドラインの射程の外側で教育を商品として売っている場所、つまり塾と予備校を見ていきます。学校でのAI利用には前回見たとおり公式のルールがある一方で、塾には同じ種類のものがまだ見当たりません。そして、ルールがないその場所にこそ、AIはすでに入り込んでいます。
この記事に出てくる数字一覧
| 見るもの | 数字 |
|---|---|
| AI教材atama+の導入教室(2024年6月の公表値) | 全国47都道府県で4,000超 |
| 当サイトの研究記事7,699件のうち「チューター」(個別指導役)を含むもの | 11件(0.14%) |
| 韓国の学院(hagwon) | 約8万5,000校・小中高生の8割近くが通うとされる |
| 中国・学而思の最上位学習機T6 Max | 同社初の1万元(約20万円)超え |
| Khanmigoへの創業者の振り返り(2026年4月) | 「多くの生徒にとって、ノンイベントだった」 |
| EUで学習成果を評価するAI | 高リスク(要件の適用は2026年8月から) |
論点1: 個別指導の隣にはもうAIが座っている
塾業界全体でAI教材がどれだけ使われているかを示す公的な統計は、探した範囲では見つかりませんでした。そこでこの論点では、公表資料がいちばん厚い一社を定点として選び、深く見ることにします。
AI教材「atama+」を開発するatama plus社です。atama+は、生徒が1問解くごとに理解度を分析し直しながら、次に何を解くべきかという一人ひとりのカリキュラムをAIが組み立て続ける、いわゆる個別最適化(*1)の教材です。同社のプレスリリースによれば、塾・予備校を通じた導入教室は全国47都道府県で4,000を超え、蓄積された解答データは累計7億件に及びます(2024年6月時点の公表値)。Z会の個別指導教室にatama+を使うコースが設けられ、駿台予備学校との間では共同のオンライン模試が実施されているように、この教材は特定の塾の道具にとどまらず、複数の塾ブランドの内側に入り込む部品になっています。
さらに同社は、自ら塾にもなりました。2022年に長野県で直営塾を開いて運営モデルを実証したうえで、2024年6月には「学習分析AI × リアルタイム進捗管理 × 料金定額の通い放題」を看板に掲げる「進学個別 atama+塾」のフランチャイズ展開を発表しています。授業のコマ数ごとに課金する従来の個別指導とは違う、AI教材を軸に定額で通い放題という料金設計です。その塾がいま、夏期講習の生徒を募集しています。
ここで確認しておきたいのは、AIが塾に入るときの入り口です。AIは教壇に立って教えることからではなく、この子は次に何を解くべきかを決める診断と出題順の仕事から入っています。先生の時間だけでできていた個別指導という商品の中身が、先生の時間にAIの診断を組み合わせたものへ静かに組み替わりつつあるように見えます。人間の講師が要らなくなるという話ではありませんが、一人ひとりを個別に見るという塾の中核価値の一部が装置で再現できるものになり始めているところまでは、公表資料から言える範囲だと思います。
論点2: 研究の場では「AI先生」はまだ小さな領域
視点を研究の世界に移して、前回と同じ物差しで当サイトの研究データベースを引き直しました。基準日2026年7月15日の研究記事7,699件のうち「チューター」(*2)を含むものは11件、割合にすると0.14%で(前回の基準日から1件増えました)、採点は11件、エッセイは9件、宿題は1件のままですから、教育のAI研究はデータベース全体から見ればまだ小さな領域にとどまっています。
ただ、その中身は、塾という商売にずいぶん近いところを掘っています。4本の研究を、塾の仕事に置き換えながら並べてみます。
| 研究(当サイトの記事) | 何をするものか | 塾の仕事でいえば |
|---|---|---|
| DeepTutor | 出典を示しながら教え、理解度に合わせた問題を自作する対話型AIチューターの枠組み(オープンソース) | 個別指導の先生役 |
| FATE | AIチューターの応答を「誤りに気づけたか」「答えを教えずに導けたか」など4観点で採点する評価専用AI | 授業の品質チェック |
| FairTutor | 高性能で高価なAIと安価なAIを賢く使い分け、生徒間の質の差(AI教育の格差)を抑える割り当ての仕組み | 月謝と質のバランス設計 |
| 人間のチューターのAI評価 | 人間の先生86人の研修成績が実際の指導の質を予測するかを、指導記録のAI分析で検証 | 講師研修の効果測定 |
少し補足します。FATEは、大きなモデルの判断を小さなモデルに写し取る知識蒸留(*3)で採点器を作り、市販のチャットAIの指導応答を実際に採点までしています。FairTutorが報告しているのは、安いモデルと高いモデルの使い分けで、高価なAIだけを使った場合の97%の品質を7割安いコストで出せたという数字です。そして人間のチューターのAI評価だけは向きが逆で、AIが教えるのではなく、人間の先生をAIが測っています。
表の右の列を見ると、個別指導の先生役、授業の品質チェック、月謝と質の設計、講師研修と、塾業界が何十年も取り組んできた仕事がそのまま並んでいます。研究の関心は「AIは教えられるか」という問いの一歩先、教える質や使われ方をどう測るかへ進んでいて、研究と塾の距離は、件数の少なさから受ける印象よりもずっと近いのかもしれません。
FairTutorが問題にした「よいAIを使える子と、そうでない子の差」は、月謝の高い塾に通える子とそうでない子、という古くからある構図がAIの世界にそのまま持ち込まれる話でもあります。ここには大きな論点がひとつ立ちますが、深入りは別の機会に譲ります。
(この物差し——日本語要約への文字列一致——の粗さは前回詳しく述べたとおりです。集計方式の改善は、前回の観測点として宿題にしてあります。)
論点3: 日本の学校にはガイドラインがある。塾にはまだ見当たらない
前回見たとおり、学校でのAI利用には文部科学省のガイドライン(Ver.2.0)があります。ただし、学校・教員・教育委員会に向けて書かれたこの文書の射程に、学校教育法上の学校ではなく民間の事業として営まれている塾は入っていません。
では、塾の側には塾向けの指針があるのでしょうか。学習塾業界で唯一の公益法人を名乗る全国学習塾協会のサイトをこの記事の執筆日(2026年7月15日)に確認したところ、トップページとお知らせの一覧を見た範囲では、生成AIに関する指針・声明・注意喚起は見当たりませんでした。網羅的な調査ではありませんし、会員向けの資料までは外から見えないので、「存在しない」と断定はしません。ただ、文部科学省が学校向けに詳細なガイドラインを公表し、すでに改訂の検討まで始めているのと比べると、外から見える情報量の差は歴然としています。
指針がないことは、悪いことだとは限りません。民間の商品である以上、何をAIに任せるかは各社が決めて保護者と生徒が選ぶ、市場の規律がすでに働いています。個人情報保護法や著作権法といった一般法は、当然塾にもかかります。ただ、裏を返せば、たとえばAIによる学習診断の誤りをめぐって問題が起きたときに、頼れる業界共通の基準がまだない、ということでもあります。ここでは事実の整理にとどめ、どうあるべきかは書きません。
論点4: 世界の塾とAI——四つの例
日本の外に目を向けると、塾・受験産業とAIの関係は、国ごとにかなり違う形をしています。四つの例を順に見ていきます。
flowchart TB
W["世界の塾とAI"] --- KR["韓国:民間が先行"]
W --- CN["中国:塾を禁止 → AI学習機で家庭に再侵入"]
W --- US["米国:市場の試行錯誤"]
W --- EU["欧州:規制が先に線を引く"]
W --- JP["日本:ルールがないまま、教室にAIが増える"]
韓国では、民間が公教育の先を走っています。学院(*4)と呼ばれる民間教育機関は約8万5,000校にのぼり、小中高生の8割近くが通うとされる巨大市場です。この市場では、TOEIC対策のAIチューターを展開するRiiidをはじめAIを正面に掲げる教育企業が早くから育ち、2026年に入ってからは、民間教育の大手が海外AIラボの教育向けサービスを採用する動きも伝えられています。一方で前回見たとおり、学校向けのAIデジタル教科書は2025年に法的地位が格下げされました。公教育が一度引き返すそばで民間は歩みを緩めておらず、両者の速度差がいちばんはっきり出ている国です。
中国では、いちど排除された塾が、AIの姿で家庭に戻ってきました。2021年の双減政策(*5)で、義務教育段階の学習塾は非営利化を義務づけられ、事実上市場から退場しました。ところが2026年の夏、かつて塾の大手だった学而思(TAL)は、「AI学習機」と呼ばれる学習専用タブレットのメーカーとして家庭の中に戻ってきています。6月30日に発表された旗艦機T6シリーズは、試験の答案や宿題を撮影すると学習履歴とあわせて弱点を診断し、「診断→計画→授業→振り返り」を一台で完結させる「AI家庭教師」を看板機能に掲げました。最上位のT6 Maxは、同社の学習機として初めて1万元(日本円で20万円あまり)を超えています。ただし、市場は過熱一辺倒ではありません。報道によれば、2021年から急成長してきた学習機市場は2026年に入って初めて失速し、第1四半期の販売台数は前年比マイナス、6月の大型セール期間のオンライン販売は2割近く落ち込みました。各社が高価格帯とAI機能に賭けているのは、市場が伸びているからではなく、伸びが止まったからです。この順序は読み違えないようにしたいところです。
米国では、配られたAIチューターが、思ったほど使われませんでした。業界の集計では、AI教育のスタートアップは2,800社を超え、2025年には合計42億ドルの資金を集めたとされます。ただ、先頭を走ってきた当事者の振り返りは、意外なほど冷静です。Khan Academyの創業者サル・カーン氏は、2026年4月のインタビューで、3年前に鳴り物入りで投入した自社のAIチューターKhanmigoについて「多くの生徒にとって、それはノンイベント(何も起きなかったのと同じ)でした。ほとんど使われなかったのです」と語りました。教室の後ろに座って生徒が助けを求めに来るのを待っても、来る子はいるものの大半は来ない。カーン氏はそんな例えも添えています。配ることはできても使われるとは限らないという、この分野でいちばん率直な実地の教訓は、論点2で見た教える質や使われ方をどう測るかという研究の問いと、ちょうど噛み合っています。
欧州では、市場より先に規制が線を引きました。前回も触れたEUのAI法は、附属書III(*6)で、教育・職業訓練の分野において入学選抜・学習成果の評価・試験監視に使うAIを高リスクに分類し、品質管理や人による監督を義務づけます。要件の適用は2026年8月からです。条文は「学習成果を評価するAIシステム(その結果を学習過程の方向づけに使う場合を含む)」という書き方をしています。文言どおりに読めば、理解度を診断して次の教材を決める個別最適化型AI教材の中核機能は、この枠のすぐ近くにいます。実際にどこまで及ぶかは今後の運用次第ですが、論点3で見た日本の状況との対比は鮮やかです。
翻って日本は、この四つのどれとも少し違って、禁止もせず、専用の規制も設けず、業界の申し合わせも外から見える範囲ではまだないまま、市場が静かに実装を進めています。夏期講習の教室にAIが増えていくのを、誰も枠を決めないまま眺めている状態と言ってもよいかもしれません。それが遅れなのか身軽さなのかを決めつけるのはやめて、観測点を置くことにします。
観測点
私たちは教育の専門家でも塾業界の関係者でもないので、この先の予測や「塾はこうあるべきだ」という話は書きません。代わりに、あとから同じ物差しで測り直せる観測点を置いておきます。
その1。塾業界に指針は生まれるのか。全国学習塾協会などの業界団体や行政から、塾・民間教育サービス向けの生成AI利用指針・自主基準が出るかどうか。起点として、2026年7月15日時点では、同協会サイトのトップページとお知らせ一覧に生成AI関連の指針・声明は見当たりませんでした。2026年内に公表されれば「指針づくりの進行」、出なければ「空白の継続」として記録します。次に見るのは2026年12月ごろです。
その2。AI塾の規模の公表値はどう動くか。atama+の導入教室数は「全国47都道府県で4,000超」(2024年6月のプレスリリース)が今回確認できた公表値です。次にこの数字が公式に更新されたとき、増えているか、数え方や表現が変わっているかを記録します。これは的中・外れを問わない記録型の観測点です。
その3。中国の学習機市場は、高価格AIで下げ止まるのか。起点は、2026年第1四半期の販売台数が前年比約1%減、6月の大型セール期間のオンライン販売が前年比18.2%減、上位4ブランドのシェアが約8割(いずれも南方都市報の報道による)。各社が賭けた「旗艦機×AI家庭教師」路線で市場が下げ止まれば的中、年末商戦を経ても減少が続けば外れとします。次に見るのは2026年12月ごろです。
起点は2026年7月15日です。
注釈
*1 個別最適化(アダプティブラーニング・adaptive learning) — 生徒の解答履歴から理解度を推定し、次に出す教材や問題を一人ひとり変える仕組み。「次に何を教えるか」の判断を装置が担う点が、教材を画面に映すだけのデジタル教材との違い。
*2 チューター(tutor) — 一対一や少人数で学習者のそばに付き、質問に答えたり、つまずきに合わせて導いたりする個別指導役。日本の塾でいう個別指導の先生や家庭教師に近い。研究の文脈で「AIチューター」と言うときは、この役割を対話型AIに担わせることを指し、答えをそのまま教えずに解き方へ導けるかどうかが質の分かれ目とされる。
*3 知識蒸留(knowledge distillation) — 大きく高性能なAIモデル(教師)の判断を手本のデータとして使い、小さく軽いモデル(学生)に振る舞いを写し取る機械学習の技法。FATEでは、教え方の質のラベル付きデータが少ないことを補うために使われている。
*4 学院(ハグォン・hagwon) — 韓国の民間教育機関。放課後や休日の補習・受験対策を担い、日本の学習塾・予備校に相当する。
*5 双減政策 — 中国が2021年7月に導入した、義務教育段階の子どもの「宿題の負担」と「塾など校外教育の負担」の二つを減らす政策。学習塾に非営利化を義務づけ、休日や長期休暇の教科指導、上場による資金調達などを禁じた。
*6 附属書III(Annex III) — EUのAI法(Regulation (EU) 2024/1689)で「高リスク」に当たる利用場面を列挙した別表。教育・職業訓練の分野では、入学選抜、学習成果の評価、試験中の監視などに使うAIが挙げられている。
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